言葉が持つ力を失う時
巷の話題を取り上げるのは容易であり、注目度や認知度の高さから「ヒットする」可能性が高まるために、人々は群がります。
相対的=比較対象がない、前例がないと決めれないという体質をもつ私たちは、絶対的な存在が出現すると圧倒される傾向があるように感じます。
その昔、私の師匠(と呼ぶとまた怒られますが…)は、日本特有の企業競争を「競争と協力の戦略」という言葉で表現されました。
その後、さらにその具体例を挙げて、昭和の時代を駆け抜けた「日本企業の競争原理」を研究されました。
このなかで最も印象的だったのは、ライバル企業同士が自らの技術力を高め、相手の製品に感化されつつ、「追い抜き、追い越せ」を続けること=切磋琢磨する日本企業のレベルの高さを知りました。
(なんちゃって)研究者の卵であった時分、トヨタの元技術者から1970年代のアメリカへの自動車の輸出の厳しさを聞きました。
当時、複数の日本自動車メーカーの車数千台をのせた船がアメリカに着くなり、ランダムで選ばれた数十台を「抜き打ちテスト」のような形で検査されたそうです。
そのなかで、ひとつでも不具合が見つかると、「全ての車の荷降は×」となり、全て日本に戻されたそうです。メーカーなど関係なく、全てです!
これでは甚大な損失を積み上げてしまうことから、前出の技術者の方は社長から「点検水準を落とすことなく、むしろ高めたうえで1台につき3分で検査完了する仕組みを考えろ」と指令が出されたそうです。
その方は、三日三晩寝ずに取り組み、指示通り「3分で自動車の点検作業全てを終える仕組み」を創り上げ、社長に報告すると…、
「よくやった。それで、この仕組みを他社に送ったか?」と聞かれたそうです。
そこで、「いいえ、送っていません。」というと、「早く送れ!自分たちの車だけが、抜け目なく点検できたとしても、他社ができなかったら、元も子もない。」と言って無償で提供されたそうです。
その後、「不条理な跳ねのけ」は一切無くなったそうです。
私は、このストーリーから「日本人の品位」を感じます。
まさに師匠の提言した「協力と競争」が融合し、全ての垣根を超えた「対話」が企業間で成り立ち、全ては全員で成長していこう、という日本人らしい熱い想いがあるように感じました。
前出の技術者は、比較するものもなく、前例もなく、あったのは「今日から3日間で創り上げるには、紙と鉛筆とバーボンだけ。」という情熱だけで、焦りはなかったそうです。
その先にある「全員の達成感・喜び」と、理解に苦しむ不条理に負けたくないという不屈の精神、自分たちの絶対なる技術力と自信の結集が、「日本製品の品位」につながったといえます。
さて…、今回のお題「言葉が持つ力を失う時」とは、人様の感情を感じることが難しくなった今、言葉を大切にしない「小さな箱」に夢中になって触る私たちが、さらにChatGPTという「あけてはいけないパンドラの箱」を開けてしまい、「面白い、凄い、便利」と称賛してしまうのは、感情のないロボットの言葉に私たちが動かされる時がきたという意味が含まれています。
着物を捨て、生活様式を捨て、比較的自然資源の乏しい日本が唯一大切にできるのが「日本人の品位」だと信じてきました。
利権や利益を守る、企業にとっては当たり前のことです。
しかし、共に闘う仲間やライバルがいなければ成長はあり得ません。だとすると、言葉も伝える人がいて成立し、受け取る側も言葉を「咀嚼」して味わわないと人としての成長はありません。
いつもお話することですが、人は過ちからしか学ぶことができない、痛みや失敗を知らない人達は「頭のなかで知っている・理解している(=脳化社会)」だけで、結局自我の欲求だけを満たすために「モノ」を創り上げてしまい、それが最終的にはとんでもない方向へと押し進めているとは、誰も指摘しないのでしょう。
「はだしのゲン」が時代にそぐわないという理由から教科書から除外されるのと同じように、言葉が持つ力を失い時が来てしまったと感じる今日この頃です。
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