60%の不満は抱えない

60%の不満は抱えない

 

時間経過とともに、本当に目にすることが少なくなった「コロナ」という文字。ヨーロッパでは既に1年前には薄れていき、ぶり返しても「ああ、そうですか」程度で扱っています。

見えない敵との闘いが終わったと思ったら、今度は巨大な圧力をかけて市民を苦しめようとする組織(=しぇいふ)。

その昔、従業員の効率化を図るため行われた研究で、「公式な組織(業務時間)よりも、非公式な組織(時間外)を充実させることが、結果として業務の効率化につながる」と導き出されました。

その非公式な組織の貴重な時間が、この3年間奪われ、人々の働く意識や向き合い方が「ほんの少しずれ」があることは皆さんもなんとなく感じていることでしょう。

日本には、飲みにケーションという若者には嫌がれる風習があり、それも制限されていたことから、解放された途端に「自分の生活のずれ」よりも解放感を味わいたいほうが勝ってしまい、理性が本能には勝てない時間が続いています。その証拠に、円高・円安と騒いでいるわりには、どこかに危機が迫っているわけでもないですし、ビットコインが急落しようが、いつかまた(あほほど)買いにでる輩が現れ「秒速で億をかせぐ」といった行動につながるのだと思います。

20代後半からの約4年間、研究という世界に入らせて頂いていた際に、不思議な研究結果を聞きました。

この研究結果は、おそらくどんなことにも通ずるものに近く、「ナッシュ均衡」に近いかと思います。しかし、私はその論文を読まず、人聞きで終わったため、今まで忘れていました。

コロナ禍の終焉を迎えた今年の春に、ふと思い出し「あ、なるほどな」と…。それは…、

「人間の不満の数値が、体感で60%を超えなければ、人は正常通り生活を営む」のだそうです。

どのように不満を数値化したのか、しかも「体感」は自分にしか分からず、毎日体調が異なるので測りづらい…ことから、この話を聞いた時は聞き流していました。

しかしよく考えると、色んなことが当てはまるような気がしてきました。

例えば、街中の飲食店で見かける「ハッピーアワー」。これも、不満を解消するために存在し、人々は1杯を楽しみ家路につきます。小さな幸せの時を味わうのでしょう。

ご主人の帰宅後に、やたらと話をする奥様(うちは逆です)。これも、溜まった不平・不満を「外に吐き出してすっきりする」行動です。

挙げればきりがないほど出てきますが、ほぼ全ての行動はコロナ禍によって制限され、人々は「仕方がない」という言葉を自分に言い聞かせ、不満を蓄積してしまいました。

現在、ヨーロッパでは通常通りの生活に戻り、観光業・飲食業に活気が戻りました。

こうなると、人々はそれまで溜めていた不満は、「どこかに置いてきたか?」と思うくらい、忘れ去り前に進んでいきます。

つまり、先ほどお話した「体感で60%」を超える人が少なかったために、いつも通りの生活に戻れていたことになります。

自分の意識をコントロールするのではなく、周囲の状況と比べてどうかを気にする日本人にとっては、「皆同じようにしんどいのだから」という言葉が魔法になっていたのでしょう。

この魔法こそ、数値化できない「不満解消に聞く薬」となっていたのではないでしょうか。

薬…?ってことは、完全には治せているわけではないですよね?

そうです、正常に戻れば次に出てくるのは、「コロナ前にあった水準への回帰」です。

本当は求めてはいけない、比べてはいけないのですが、人はどうしても「最初の入り口に戻ってしまう」のです。放火魔が、現場に戻る現象と同じです。

入り口を確認しに戻った群衆はどうするのか。「どれだけ減ったかをみて、その分を取り戻そうとする」のです。ギャンブルの「元手」を取り戻す現状です。

こういった小さな渦が世界中で起こり、やがては金融市場に影響を及ぼし、ウクライナ情勢の未解決につながっているとはだれも思わないでしょう。

ロシアの方々に聞かなければ本音は分かりませんが、おそらく60%の不満には至っておらず、ウクライナの方々はたとえ60%を超えていたとしても、「正義は、我にあり」で必ず60%以下になると信じて動いているのでしょう。

昨日、つぶやきで有名な鳥さんマークのSNSで大量解雇が報道されました。それを追うように、顔本のSNSでも同等のニュースが流れてきました。

さて、ここから溢れ出る「60%以上の不満」は、私たちの生活にどのような影響を与えるでしょうか。

##拙文 #商い #くらし #60%の不満 #うねりとなった不満は怖い

 

#towabumi

元記事:コチラ