【シリーズ:負と向き合う志】
本サイトは、記事が何もないとかっこがつかないので、今まで書き留めていた記事を5つ連続で投稿しました。
今後は、もう少しゆっくりと書きます。
また、せっかくなので「シリーズ」ものを思いつくまま書き殴り、頃合いの良いところでまとめるとします。
最初のシリーズは、「負と向き合う志」です。
世知辛いのこの世の中で、私たちは負を消し去り、正ばかりを求めてしまいます。
正ばかりを求めることは、決して悪いわけでも間違っているわけでもありません。正だけで満たされるのであれば、それに越したことはないです。
しかしこの世の中は、全て「コインの裏表」で成り立っています。
分かりやすく言えば、鉄腕アトムや宇宙戦艦ヤマト、ガンダム、ONE PIECE…、最初から最後まで幸せだけが満ちた漫画はありません。
必ず「倒すべき相手」がいて、その対象を敵とみなし、片方が考える「間違った・歪んだ考えを正す」ために「戦う」と声をあげています。
私たちの生活の中でも、同じことが言えます。
当たり前の幸せを維持するために、働き・学び・家族と共に生活を築いています。
その何気ないくらしのなかでは、必ず人の心に何らかの感情が生まれ、それら全てが常にプラスではありません。
「今日電車の中で横に立っていた人が、臭かった。」、「スーパーのレジが混みすぎて、会計まで10分以上待った。」
こんな小さな感情が、やがては大きな雪だるまとなって、気づいた時には「過剰なストレス」となることがあります。
…とだらだらと書きましたが、もっと簡単にいえば「綺麗事を並べても、時に成り立たないことがある」となります。
現在(22/03/27)ウクライナで起きている出来事は、なぜ話し合いで解決できないのか?
なぜ国力として弱いウクライナが正として扱われ、最初に刃を向けたロシアが負(さらに言えば悪)と扱われるのは分かるが、その逆の視点は考えないのか?
この二国の出来事を、自らの夫婦喧嘩に置き換えて考えられないか?(特に報道)
スポンサーと視聴者側の目を気にして、流す内容を(時に捻じ曲げて)勝手な判断で精査して、コメンテーターへ言葉の規制を強いるのは、結局はプロパガンダと同じではないか?
…出せば出すほど、人々の心に「理解不能な重み」が上からのしかかり、最後には多くの人たちは目を向けないようになってしまいます。
私は、このシリーズの中で「一般世間が背を向けてしまいがちな『負』に向き合う」心・志について書き殴ろうと思います。
それも私自身が、決して心が強いわけではなく、どこかで「避けよう」とする弱さがあるからです。
そして、人が避けてしまう言動は、避ければ避けるほど後で大きな反動として戻ってくると思いますし、そういう経験があります。(誰しも、多かれ少なかれある…。)
HAPPYだけを求める思想や時代の流れとは相反しますが、それを自らの役割と(勝手ながら)想い、書き殴ります。
ではでは、またまた。
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