「7つの習慣」と「絵文字」がもたらした無感情の世界

「7つの習慣」と「絵文字」がもたらした無感情の世界

 

あまり知られていないと思いますが、世界では「kawaii」と同じくらい普及している「emoji」。

ここまで日本語が幅広く使われるのが嬉しいと思ったのは、初めて渡英した時に「sushi ! Ninja !!」とイギリス人が言った(叫んできた)時以来です。

しかし、私はよほどのことがない限り、絵文字は使いません。母や家内、姉、親友にも殆ど送ることはありません。

本サイトも…無機質な文字列が並び、人の感情が伝わりづらいことは百も承知で書き綴っていますが…。

その伝わりづらい感情を絵文字で表現してい…、いやいや、象形文字への退化としか思えてなりません。

いつからか、いいねボタンを押して感情を出すことが一般化されてしまい、「ありがとうね」と書けば済む話が、象形文字になるのは寂しいものです。

面倒ではないことまでも、「円滑に・便利に」が横行してしまい、いざ人の想いを伝えようとした時、文字ではなく映像という「瞬間的に脳を刺激する媒体」に頼るようになり、やがては「メタバースが、これから主流になる」と懸命に普及活動が行われています。

ロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイの映画「マイ・インターン」でも、この無機質なやり取りについて取り上げるシーンがありました。

<ネタばれは、叩かれるので書きませんよ。>

私の目上の方々の「若者は、本だけでなく新聞までも読まなくなった。」との指摘は、既に20年前から嫌になるほど聞いてきました。

今思えば、「そういう環境を作ったのは、実は大人であり、そうならないように子供たちに育てれば良かったのでは?」というのが本音です。

今のスマホやタブレットと同じです。自分たちの管理責任は放棄して、「時代の流れ」「周囲との調和」を言い訳にしているだけです。

では、若い人が本を読まなくなったのは、スマホやPCが主たる原因なのでしょうか?

私自身が感じることは、人の感情に向き合わない大人が金儲けに走ったことが要因の一つであり、私が今ここで議論していること(=本を読まなくなった)は「時代の流れ」という何にも解決に導かない言葉が「誰も傷つかない唯一の方法」だと大人たちが勝手に考えた、としか言いようがありません。

毎日が忙しく、小さなことに向き合う時間もつくらず、ストレスを発散することだけに注力して、脳内の情報処理が追いつかず、それでも止まれないマグロのように泳ぎ続ける、これが大半の方が並べる「言い訳」なのかもしれません。

「何、言うてんの? うちの子は、本も新聞も読むよ。周囲でも読む人は多いよ。」

これは、超スーパーハイパー高齢化+少子化だと言っているのに、自分の回りだけを見て「子供が減ったようには感じないよね」と言っているレベルと同じです。

では、一体全体どこに転換点があったのか…。それが、私は「7つの習慣」だと思っています。

講演・講師活動が多かった亡父は、この本が初めて世に出た時「一度は読め」と私に渡してきました。

それから約25年が過ぎ、ごく自然に目にするようになった、「○○を実現するための5つのコツ」、「〇分で完全読破、速読のために身につける10個のワザ」などと、安直にまとめあげ、伝える内容が急増して、今でも続いています。

「面倒な話はいいから、方法を教えて。」こんなことで、その先「安直に得たもの」を活かせるとは到底思えません。

どこかのニュースサイトでは、時間がなく全てを読めないユーザーのために「ポイント」を3つに絞り、記事の最上部に設置しています。

情報処理能力が追いつかないから、文脈を無視して「切り取り作業」の文章を読み、それでも伝わらないと絵文字という象形文字を使って感情表現する…、まさに無感情の世界が今この世の中を支配しているのですね。

心の表現が、他国の人に比べて少ない日本人。「すいません。」に謝罪と感謝の意味合いが含まれているように、場の雰囲気や置かれた状況に応じて、解釈する日本人。

感情が伝わりづらい世界で、一体皆でどこへ向かうのでしょうか。

ちょっとしたことで、変わるのですがね。多くの人が気づいていない(気づかないふりをしている)から、同じ場所でずっと足踏みしてしまうのでしょうね。

いやはや…。

 

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元記事:コチラ