「進化」と「進歩」の違い

「進化」と「進歩」の違い

 

 

くらしの中で、よく使われる「進化」という言葉。

よくよく話を紐解いてみると、「進歩」だと分かる。単に末尾の「ぽ」と「か」の言いやすさと、「何かが大きく変わったイメージを植え付けたい」という意図的な操作が働いているのでしょう。

例えば、「人類の進化」というと、どうしてもダーウィンの進化論のように、キリンの首が長くなった…といったイメージが頭に浮かぶ。

しかし「人類の進歩」と聞くと、自動車が電気や水素で走るようになった、CO2の排出量を減らした…などと、「確実な歩み」を感じる。

どちらの言葉も、「成果を積み上げた結果」には間違いないが、どうしても「進化」に疑問が残る。

約15年前、姉が購入した洗濯機と友人が購入した(別々だけど)乾燥機とセットになった洗濯機を見て、周囲は「進化」と口を揃えて話していた。

洗濯機は、1990年代後半では最も販売に伸び悩んだ「三種の神器」だった。これ以上の技術はないと思われていた。

姉が大学生時分に持っていた洗濯機は、洗濯とすすぎが分かれているタイプで、この機能が一つでできるようになったことも画期的だった。

そんな中で、姉はドラムが少し横に傾いたタイプの洗濯機を購入した。

欧米では、洗濯機のドラムは縦置きではなく、横向きにすることで水と重力、回転(遠心力)に加えて「叩きつけて汚れを落とす」のが主流だった(今も)。

このような違いがあったにも関わらず、日本では「これ以上、洗濯機に何ができるのか」と、技術者が頭を悩ませていた…と聞くと驚きである。

当然、そこには知的財産権といった面倒なこともあったのだろう。

そして、2000年代に入ると、先の姉が購入したタイプの洗濯機がここぞとばかりに売られるようになり、加えて海外の「匂いが強めの」洗剤が売れるようになり、洗濯の概念が変わり始めた。

今では、別々になっていた洗濯と乾燥が一緒になったタイプは、「当たり前」になり、またも「技術の頭打ち」が見えてきた。

…と、ここ数十年の洗濯機の歴史を振り返ると、私の中では「進歩」であり「進化」ではないと感じてしまう。

つまり、進歩とは「人間の努力の積み重ねがもたらした結果=歩み」なのだと。

では、「進化」ってなんやねん?と聞かれてしまう…。

ちょうど私が、iPhone 7を使い始めて1年が過ぎようとしていた頃、左手の小指にしびれと痛みを感じた。

やばい…、と思ったが、よくよく考えてみると「スマホを持つ時に手が小さいので、小指で下から支えているため」に痛くなったと気づいた。

それ以来、気をつけて使うようになり、その時から同じ痛みは出なくなった。

同じような出来事があるのでは?と思っていた矢先、形成外科の先生が「人間の手が、スマホによって変化している」と指摘するニュース記事を見つけた。

… … …、 あ! 女性のヒール靴による体の変化と同じだ!と気づいた。

つまり、日々の生活の中で体の動きによって、「脳が無意識に適応している」のだと思った。

1日にスマホを使っている時間は、年齢が下がれば下がるほど長くなる。そうすると、体が柔軟な若い人ほど手が持ちやすいように「適応」していくのだろう。

女性のヒールの靴も同じことが言える。元々体の重心位置までも変えてしまうヒール靴を履く体形ではない日本人。

さらには、大量生産された靴を履こうものなら、自分の足の形は考えず、「見た目」だけで購入した女性は少ないないだろう。

そうすると、多少の履き心地の悪さがあっても、毎日のように選んでしまう。=誰も草履は選ばない…。

この行動を、脳はいち早く察知して適応するのだと…。それが、多くの女性が外反母趾や冷え性、生理不順で悩んでいると言われている。

もしかすると、例えば外反母趾(骨の変形)は、環境に合わせた「人間の進化」なのだろうと。

つまり、進化とは「私たちが選ぶくらしの選択の結果=適応」なのだと。

辞書を開いて、読めば一発!と言われてしまうが、私は単純に「もう少し、考えて言葉を使おうね。」と言いたくなる話でした…。

 

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